4月27日
昨年の11月に須永朝彦という作家を知った。私を"耽美"な雰囲気の底知れぬ沼、いや天空の彼方へと連れ去ってくれた神さまだ。
"それを敲けば斯様に荒涼として綺羅綺羅しい音を立てるだらう"
"犒ひの言葉を贈つて、おもむろにその愛されるための華奢な頸すぢに唇を寄せた"
(須永朝彦 "契"より)
彼が生涯貫いた旧仮名遣いで綴られる文章はこれこそ耽美の権化だといえるほどの濃密さであった。登場人物は皆欧州の美男にも関わらず、どこか日本的な奥ゆかしさが潜んでおり独特なエロティックな世界を築いている。
私は時々、いわゆるホラーと耽美は紙一重なのではないかと考える。精神的な恐怖がどこかでねじ曲がって、恍惚とした美しさを生むのかもしれないなと。
"鏡のなか、揺れる火影に映し出された私の躯の上には、泡雪が降り積もっていた。しかし、灼けた蝋燭の滴りは、私の膚の上で溶けることはなかった。"
(石川貴一 "明烏偐泡雪"より)
友人2人と桜を愛でた今日。歩きながら綺麗だねしか言えなかったけれど、本当に綺麗だったんだもの。全て同じソメイヨシノらしいけれど、下から青空を覗くように見たのと、上から白いポンポンみたいに見えたあの桜たちはそれぞれ得意な表現が違うよう。
橋を見ると一休さん思い出すんだよね、と語った友人はもう1人と橋の真ん中を歩いた。私はなんだか気恥ずかしくて彼らの横を歩いた。